「お初天神」の名で広く知られる当社は、正式名称を露天神社(つゆのてんじんしゃ)といいます。
元禄十六年(一七〇三年)に当社境内で
実際にあった心中事件を題材に、近松門左衛門が人形浄瑠璃「曽根崎心中」を書きました。
以後、そのヒロインの名前「お初」にちなんで「お初天神」と呼ばれるようになったのです。
「曽根崎心中」は、元禄十六年四月七日に起こった、堂島新地天満屋の遊女「お初」と
内本町平野屋の手代「徳兵衛」が当神社の「天神の森」にて情死した事件をもとに、近松門左衛門が劇化したもので当時の人々の間で大評判となりました。
当社にも参詣回向の老若男女が大勢押しかけました。
広く民衆の涙を誘うこの作品はその後も繰返し上演され、今日でも回向とともに、恋の成就を願う多くの人々が訪れています。
なお、昭和四七年七月、曽根崎中一丁目の有志によって、恋に殉じた二人を慰霊するための「曽根崎心中、お初徳兵衛ゆかりの地」という石碑が建立されました。
二人の三百回忌の慰霊祭の際、氏子のお一人より「お初さんのために」
と百万円の寄付があり、それをきっかけとして、
地元商店街などからも多額の寄付金が寄せられ平成十六年四月に慰霊ブロンズ像が建立されました。